華岳山(ファアクサン/1,468.3m/京畿道)

京畿道の最高峰として君臨している華岳山は、漢北正脈[1]上の白雲山(ペグンサン 904m)と国望峰(クンマンボン 1,168m)の間の道馬峙峰(トマチボン 937m)から南東方角へ伸びた稜線上にそびえている。漢北正脈からは分かれて外に出ているが、華岳山は漢北正脈上のどの山よりも広範囲に多くの山峰を従えている。北西稜上の石龍山(ソンニョンサン 1,147m)をはじめ、西稜のオンニトンボン(928m)、南稜の中峰(チュンボン 1,446m)・稚児峰(エギボン 1,055.3m)・修徳山(スドクサン 794.2m)、そして東稜の鷹峰(ウンボン 1,436.3m)から南方に折れる稜線上の燭台峰(チョッテボン 1,170m)などが、華岳山の頂上と近い距離でつながっている。

古くから華岳山は、地理的に朝鮮半島中央の地として知られてきた。朝鮮半島の地図を見ると、まず全羅南道麗水市から北朝鮮の慈江道中江郡中江鎮(チュンガンジン)へと一直線で結ばれる子午線(東経12730分)がある。そして北緯38度線を引き、その二線の交わる所がちょうど華岳山の頂上である。さらには北朝鮮の平安北道朔州郡から慶尚北道蔚山へと、そして白頭山から漢拏山へと線を引いた時、不思議なことにその二線の交差点もまた華岳山となる。概して華岳山の頂上は、国立地理院刊行の地形図においても、また山麓で何代にもわたって暮らしてきた住民たちも、「中」の漢字を使い「中峰」と称してきた。

華岳山の頂上は、朝鮮戦争以降、入山禁止区域に指定され、民間人の立ち入りは全くできない。そのため現在は、山頂から南稜方面へ約500mの距離にある中峰まで登山可能である。

華岳山は、華岳里(ファアンニ)終点の中間村(チュンガンマル)集落を起点とし、コンドゥルレ集落~漆林沢(チルリムケゴッ)~天道教修道院(チョンドギョ スドウォン)~五林沢(オリムケゴッ)を経由するのが山頂方面へ至る最短コースである。

コンドゥルレ集落の保護樹、王松(ワンソナム)の前から、左側にある橋を渡って漆林沢登山道に入り35分~修道院の池の右側にある水場[2]~五林沢45分~支尾根1時間~電信柱(道標あり[3])~左側の車道を道なりに10分~道路脇空き地の左側にあるトラバース道(入口に道標あり[4]15分~中峰の順に行けばよい。約7㎞、所要時間約4時間。

華岳里方面への下山は、中峰から再び道路脇空き地まで戻り、車道(補給路)の電信柱前に出る。あとは登ってきたコースを逆に五林沢~天道教修道院へと下ればよい。赤木里(チョンモンニ)方面からは、龍水洞(ヨンスドン)終点を起点とし鳥舞楽谷(チョムラッコル)もしくはオンニトンボン尾根から中峰へ登ることもできる。約6㎞、所要時間約4時間。

稚児峰コースは、明智山(ミョンジサン)登山口とオドンゴル集落の間にソンバウイという集落があり、その道路向かい側の稚児谷(エギゴル)から稚児峠(エギコゲ)を経由して登るコース(所要時間・3時間)が最も多く利用されている。また、オドンゴル集落から大泉原(クンセンバッ)~中峰南稜出合を経由して登るコース(所要時間・2時間)がある。その他、大谷沢(クンゴル)の最初の二俣を右に入り、中峰南稜の鞍部を経由して南側の稚児峰に登るコース(所要時間・2時間30分)もある。大谷沢は上流が上水源保護区域となっているため注意が必要である。

稚児峰からさらに南陵へ約8㎞の距離にある修徳山は、公共交通の便がいい沐洞(モクトン)から徒歩でも楽にアクセス可能である。済寧里(チェリョンニ)のカドゥルギ集落を起点とし南稜を頂上まで登るコースが見どころも多い。奇岩・ヘリコプター岩(ヘルギバウイ)~支石墓岩(コインドルバウイ)~穴岩(クモンバウイ)を過ぎると山頂に着く。下山は再び南稜を戻り、穴岩を過ぎて支石墓岩直前の分岐を西側の支尾根に入る。そして加平川(カピョンチョン)の川辺にある栗林の前(「赤木里7㎞」の道標あり)を過ぎると甕岩(ハンアリバウイ)に至る。所要時間、約4時間。
<月刊「山」 全国名山地図帳解説より>

[1]漢北正脈(ハンブッチョンメッ) 太白山脈から漢江へと至る山脈。
[2]投稿者は修道院まで行かず、途中にあった踏み跡をたどった。下の動画の1:161:30
[3]下の動画の4:054:17
[4]動画4:274:30

2011513日に撮影した動画>

<登山地図>
(動画の登り=赤 下り=青

니시아즈마야마(西吾妻山/2,035m/후쿠시마현, 야마가타현)

니시아즈마야마는 후쿠시마 현 야마 군 기타시오바라 촌야마가타 현 요네자와 시의 경계 지역에 위치해 있으며 반다이아사히 국립공원에 속하는 화산이다.

동서로 뻗어 있는 아즈마연봉의 최고봉으로 군림하는 니시아즈마야마는 연봉의 서쪽 주능선 상에 솟아 있다. 능선 북북동 쪽에는 나카다이텐(中大巓 1,963.6m)’, 서남서 쪽에는 니시다이텐(西大巓 1,981.8m)’이 이어진다. 정상에 삼각점은 없고 수림에 둘러싸여 조망도 없다. 아즈마연봉의 동쪽에는 히가시아즈마야마(東吾妻山 1,974.7m)’잇사이쿄잔(一切經山 1,948.8m)’이 있고, 중앙에는 히가시다이텐(東大巓 1,927.9m)’이나 나카아즈마야마(中吾妻山 1,930.6m)’가 있다.

아즈마연봉은 해저에서 융기한 신제삼기층을 가반암으로 하며 쓰치유토게(土湯峠)’야지다이라(谷地平)’습원(해발 1,400-1,500m 지대)에 그 노두가 보인다. 화산 분출물 층은 두꺼운 곳이 500-600m 정도이다. 니시아즈마야마는 성층 화산이며 정상에는 화구가 확인된다. 화산 활동은 경신세 중기 말경에 시작되었고 경신세 말기에는 원형이 만들어졌다고 추정된다.

해발 1,400m 이상의 지대는 정상까지 오시라비소’(일본 고유의 젓나무)고메쓰가’(일본 고유의 솔송나무) 등의 아고산대 침엽수림으로 덮여 있고, 해발 1,400m 미만의 지대는 부나’(너도밤나무) 숲이 펼쳐진다. 임상(林床)에서는 지시마자사’(섬대)가 우점하며 가니코모리’(게박쥐나물)이나 쓰바메오모토’(제비옥잠) 등도 보인다. 또 정상 능선의 설원에는 모센고케’(끈끈이주걱), ‘와타스게’(황새풀), ‘우메바치소’(물매화) 등이 핀다.

옛날부터 산악 신앙 대상이 된 슈겐도의 산이며 정상 북쪽의 덴구이와(天狗岩)’에는 아즈마묘진(吾妻明神)’을 신으로 받들어 모신 아즈마진자(吾妻神社)’가 있다. 1803년부터 1809년에 걸쳐 편찬된 신펜아이즈후도키(新編會津風土記)’에는 吾妻山.. 東吾妻 中吾妻 西吾妻라는 三山이 늘어선다. 西吾妻는 檜原村에 屬한다. 昔日本武尊을 모신 신사가 있다. 그런고로 명명되었다고 한다..[1]라는 기술이 있다.

<코스 가이드>
1.   그란데코 스키장에서 곤도라를 타고, 곤도라 종점에서 니시다이텐까지 약 1시간 40분 소요. 거기서 정상까지 약 55분 소요.
2.   시라부온센(白布溫泉)에서 로프웨이를 타고 덴겐다이(天元臺) 스키장으로 간다. 스키장의 리프트 3기를 갈아타고 리프트 종점인 호쿠보다이(北望臺)’에서 닌교이시(人形石)’까지 약 35분 소요. 거기서 정상까지 약 1시간 15분 소요.
3.   시라부온센에서 와카메다이라(若女平)’를 경유해 오르면 정상까지 약 4시간 25분 소요.
4.   니시아즈마 스카이밸리 도로의 시라부토게(白布峠)’에서 니시다이텐까지 약 2시간 50분 소요. 거기서 정상까지 약 55분 소요.
5.   히바라코(檜原湖) 북쪽의 와세자와(早稻澤)’에서 데코다이라 분기를 경유해 오르면 니시다이텐까지 약 3시간 25분 소요. 거기서 정상까지 약 55분 소요.
6.   그 밖에 잇사이쿄잔 방면에서 능선을 종주하는 코스가 있다.

정상 부근에는 무인 대피소 니시아즈마고야(西吾妻小屋)’가 설치되어 있다. 수용 인원 40명 정도.

[1]‘야마토타케루(日本武尊)’가 자신의 아내인 오토타치바나히메(弟橘姬)’를 사모하면서 아즈마하야..(우리 아내야..)’라고 말했다는 전설이 있다.

<2013 1 21일에 촬영한 동영상 
(그란데코 스키장에서 니시다이텐까지)>

<지형도 오른 길=빨간 선 내린 길=파란 선>

冠岳山(クァナクサン/631m/ソウル市)

漢江の流れに向き合い雄々しく突き上がった冠岳山は、ソウル南方の防壁を成す山である。南泰嶺から三聖山(サムソンサン 455m)へと連なる山並は、まさに天然の防壁を形成していると言える。このように心強い山容を有していたことから、李成桂漢陽へ遷都をした際に、冠岳山は北漢山、龍馬山(ヨンマサン 595.7m)、徳陽山(トギャンサン 125m)と共に「外四山」の一つに列挙された。

ソウル市冠岳区衿川区果川市安養市に山裾を伸ばした冠岳山は、黄海を見渡せるほどひたすら高く山容が抜きん出ており、坡州市の紺岳山(カマクサン 675m)、開豊郡の松岳山(ソンアクサン 488m)、加平郡華岳山抱川市雲岳山と共に「京畿5岳」の一つに数えられている。

およそ「岳」の漢字が名に入っている山はそうであるように、冠岳山は岩山である。山頂をはじめ稜線や山の斜面も、まるで岩で刺繍を施したように岩が累々としている。それぞれ同じような岩山でも、北漢山を華麗な「華山(ファサン)」とするなら、冠岳山はまるで炎のような「火山(ハングル読みは華山と同じファサン)」[1]だと言える。この炎のような形状の山稜が、登山客にとって見事な「登山大聖地」となっている所以である。

<コースガイド>
1.  依然として人気を保つ、冠岳山横断コース
ソウル大学正門隣の出会いの広場(マンナメクァンジャン)から第4野営場を経由して恋主台(ヨンジュデ)に登り、果川郷校(クァチョンヒャンギョ)へと下るコースは最も人気のある一般的なルートである。所要時間、約3時間30分。

2.  ソウル大学周回コース
出会いの広場から冠岳山と三聖山の分岐点である山越峠(ムノミコゲ)を越えると、ソウル大学の実習林へと下る間の左側に何本かの登山道が現れる。その中の一つを恋主台まで登り、新工学館道もしくは息切れ峠(カルタッコゲ)から第4野営場への道を下山する。八峰尾根(パルボンヌンソン)は下山道として利用したほうが比較的楽である。所要時間、35時間。

3.  果川市民が挙げる周回コース
果川郷校を起点とするコースは、沢筋の道と尾根道をつなぐ周回登山が一般的である(所要時間、約3時間)。工業振興庁を起点とし、逸明寺址(イルミョンサジ)~426m峰~山頂~南稜~六峰尾根(ユッポンヌンソン)をつなぐ周回登山は、単調な登山道ではあるが岩稜登山の楽しさも増すコースである(所要時間、約4時間30分)。

4.  山容眺望1級コース 南北稜線縦走
地下鉄舎堂駅付近の南峴洞、観音寺(クァヌムサ)から出発し、559m峰~恋主台~仏性寺(プルソンサ)を経由、安養市の冠陽洞で締めくくる縦走コースは、遮るもののない眺望とスリルあふれる岩場の道を楽しみながら、冠岳山唯一の森林浴場へと下るコースである。所要時間、約5時間30分。

5.  新工学館を起点とする最短コース
ソウル大学の新工学館~慈雲庵(チャウナム)~王冠峰(ワングァンボン)岩稜の道は恋主台への最短登山道で、終始スリルあふれる岩峰でつながった絶景コースである。所要時間、約2時間。

    恋主台の下にある恋主庵(ヨンジュアム)では、朝昼の供養時間に登山客に食事を提供している。供養時間は朝6時~7時(休日は9時)、昼12時~14時。代金は志で。宗務所02-502-3234

    冠岳山の山頂にはKBSの中継所が、三聖山の山頂にはKBSKTの中継所があるため立入禁止。また、軍部隊施設が建っている南泰嶺一元と、政府の第2総合庁舎~工業振興庁の裏側も立入禁止となっている。

<交通>
1.  ソウル大入口
地下鉄2号線ソウル大入口3番出口)もしくは新林駅3番出口)のバス停からソウル大行きバスを利用。

2.  南峴洞・観音寺起点
地下鉄24号線舎堂駅(5番出口)から果川方面へ向かい、阿衡坂(アヒョンオンドッ)から路地を道なりに行くと、観音寺入口券売所(約600m)が現れる。券売所もしくは券売所上のバドミントンコートから尾根に上がれる。

3.  果川郷校起点
地下鉄4号線果川駅7番出口)もしくは政府果川庁舎駅11番出口)から徒歩で1015分の距離。

4.  工業振興庁起点
政府果川庁舎駅(11番出口)から徒歩で約20分の距離。工業振興庁の塀に沿って白雲寺(ペグンサ)への道に入る。
<月刊「山」 全国名山地図帳解説より>

[1]「火山活動をしている山」という意味ではない。

20101129日に撮影した動画>

<登山地図>
(動画の登り=赤 下り=青 
それ以外の日に投稿者が歩いた登山道=緑

오구니누마(雄國沼/1,000m/후쿠시마현)

후쿠시마 현 야마 군 기타시오바라 촌 있는 오구니누마는 해발 1,000m에 위치한 칼데라호수이며, ‘네코마가다케(猫魔ヶ岳)’오구니야마(雄國山)’ 등의 외륜산으로 둘러싸여 있다. 주위 산에는 부나’(너도밤나무)가 많고 초여름에는 렌게쓰쓰지’(연꽃철쭉), 6월말부터 7월초에는 호수 남쪽에 있는 습원 지대의 군락지에서 닛코키스게’(각시원추리)가 한창 펴서, 이 시기에는 많은 등산객이나 사진가들이 방문한다. 또 최근에는 겨울에 스키나 스노우슈로 방문하는 사람도 늘고 있다. 예전에는 호수 면적이 현재의 절반 정도였지만, 에도(江戶)시대 초기에 오시오헤이자에몬(大鹽平左衛門)이 실시한 관개 공사로 인해 면적이 확대되었다. 

닛코키스게가 만개가 되면 오구니누마에 가장 가까운 주차장이 있는 가나자와토게(金澤峠)’ 등은 휴일에 정체될 정도이다. 이런 과잉 이용 때문에 사람에 의한 식생 파괴나 시뇨 처리 문제, 쓰레기 문제 등 많은 문제가 생겨서 자연 환경 파괴를 초래하고 있다. 이러므로 2005년도부터 낫코키스게가 피는 시기에 한해 가나자와토게는 일반 차량의 통행을 통제하고 셔틀 버스를 운행하고 있다.

오구니누마는 가나자와토게에서 걸어서 30분 정도 가면 닛코키스게 대군락지에 도착할 수 있다. 그러나 전술한 대로 셔틀 버스를 이용하여야 한다. 그 밖에 일반적인 코스로서는, ‘오시자와구치(雄子澤口)’에서 오르는 코스(오구니누마까지 걸어서 1시간 소요, 닛코키스게 대군락지까지는 거기서 30분 소요)라비스파 우라반다이(裏磐梯)’온천에서 오구니야마를 경유하여 오구니누마로 이르는 코스(오구니누마까지 걸어서 1시간 30분 소요), ‘핫포다이(八方臺)’에서 네코마가다케를 경유하여 오구니누마로 이르는 코스(오구니누마까지 걸어서 2시간 30분 소요)가 있고, 모든 등산로 입구에는 주차장이 정비되어 있다. 또 오구니누마 복쪽에는 오구니누마 큐케이샤(雄國沼休憩舍)’라는 무인 산장이 있다.

<2013 2 17일에 촬영한 동영상 (네코마 스키장 기점)>
<지형도 오른 길=빨간 선 내린 길=파란 선>

<2012 7 3일에 촬영한 동영상 (오시자와구치 기점)>
<지형도 오른 길=빨간 선 내린 길=파란 선>

<렌게쓰쓰지(연꽃철쭉)>

<닛코키스게(각시원추리)>

雲岳山(ウナクサン/935m/京畿道)

雲岳山は、京畿道抱川花峴面と加平郡下面の境に位置し、漢北正脈[1]上にそびえている。古来より、坡州市の紺岳山(カマクサン 675m)、開豊郡の松岳山(ソンアクサン 488m)、加平郡の華岳山ソウル市の冠岳山と共に「京畿5岳」の一つに数えられる名山である。加平郡の「加平八景」の第六景として「雲岳望景(=雲岳山の望景台(マンギョンデ)から見下ろす眺望)」が選ばれており、加平郡において雲岳山は貴重な名所と見られている。

雲岳山は、四方八方どこから見ても岩場で覆われている。雲岳山南側の新上里に暮らす住民によると、古くからの名は「石山(ソクサン)」であったという。古来より先人たちはこの山を見て、誰はばかることなく「小金剛山」(金剛山の縮小版という意から)と呼び合った。

望景台、神仙台(シンソンデ)、稚児岩(アギバウイ)、雲岳山城、虹滝(ムジゲポッポ)、牛尾滝(ソッコリポッポ)などと一体化した奇岩怪石、そして千年の歴史を持つ古刹・懸燈寺(ヒョンドゥンサ)、さらには百年滝(ペンニョンポッポ)、舞雲滝(ムウンポッポ)、弥勒岩(ミルッパウイ)、屏風岩(ピョンプンバウイ)、男根岩(ナムグンソッ)、象岩(コッキリバウイ)など、数十か所余りに達する秘境地帯が山全体を埋め尽くしており、そのような美辞麗句が並ぶのも尤もなことである。

雲岳山は、北方から円通山(ウォントンサン 567.2m)へと連なってきた漢北正脈の峰々を、南側の稚児峰(アギボン 772m)へと繋ぐ位置にある。稚児峰は、雲岳山を母なる山と見るとまるで母の懐に抱かれたような山容であることから、住民たちにより古くから呼ばれてきた名である。

雲岳山の山頂は、国立地理情報院刊行の地形図に935mと表記された頂で、「東峰(トンボン)頂上」と呼ばれている。別名「青鶴台(チョンハクテ)」とも呼ばれるこの頂は、萬海・韓龍雲がここで瞑想し十玄談序論という有名な文を考えた所として知られている。

山頂から北西方向に約300m離れた所に、山頂より0.5m低い934.5mの頂があり、ここを「西峰(ソボン)頂上」という。西峰から約50mの距離に、雲岳山で最も見晴らしの良い望景台がある。

雲岳山随一の寺刹である懸燈寺は、新羅の第23法興の時代に、インドから新羅を訪れた摩羅呵彌という僧侶のために創建されたという説が語り伝えられている。また、新羅の孝恭王2年(898年)に道詵国師[2]が創建したという説、高麗の熙宗6年(1210年)に普照国師3度目の創建をし懸燈寺と名付けたという説、その後李氏朝鮮の時代に入り、太宗11年(1411年)に函虛祖師[3]が三角山(現在の北漢山)から五神山(現在の五台山と思われる)へ行く途中で道に迷ってしまったが、その時1匹の白鹿が先導してくれるのを見て、付き従って行くと昔の寺跡があったため、その場に建て直し4度目の創建をしたという説などがあるが、正確な創建年代の記録は伝わっていない。

雲岳山西峰の北西方向にある険峻な岩稜に建っていた雲岳山城跡は、別名「弓裔の隠れ城」や「花城」とも呼ばれている。花城は、現在の花峴里が昔は花城里と呼ばれていたことから付けられた名である。

雲岳山城は、甄萱城[4]、咸王城[5]と共に、新羅末期の豪族の歴史を明らかにできる貴重な建造物として評価されている。山城跡の長さは約2.5㎞に達し、高さは低い所で0.5m、高い所で3mに達する二重城である。このように独特な形をした雲岳山城であるが、その唯一の記録としては、英祖34年(1758年)に李世郁(イ・セウッ)などが編纂に携わった「堅城誌」の山川条に、「雲岳山は抱川県の東方25里にある。加平県懸燈山の西方にある。山の頂に宮殿跡がある。」という記録がある。

城跡は相当部分が毀損状態にある。牛尾滝と虹滝の間の岩稜に、城郭の形が最もよく残っている。
<月刊「山」 全国名山地図帳解説より>

[1]漢北正脈(ハンブッチョンメッ) 太白山脈から漢江へと至る山脈。
[2]道詵国師(トソンクッサ) 827898年。新羅末期の僧侶。風水説の大家。
[3]函虛祖師(ハモジョサ) 13761433年。李氏朝鮮前期の僧侶。
[4]甄萱城(キョンフォンソン) 後百済の始祖甄萱江原道原州市文幕邑厚用里に建てた城。
[5]咸王城(ハムァンソン) 京畿道楊平郡玉泉面龍川里にある高麗時代後期の山城。

2010529日に撮影した動画>

<登山地図>
動画の登り=赤 下り=青