俗離山(ソンニサン/1,058m/忠清北道・慶尚北道)

俗離山は忠清北道報恩郡槐山郡慶尚北道尚州市にまたがる山である。花崗岩を基盤に変成堆積岩が混じっており、花崗岩の部分は鋭くそびえ、変成堆積岩の部分は深く窪み、高い峰と深い谷が絶景を成している。別名、光明山(クァンミョンサン)、彌智山(ミジサン)、小金剛山(ソクムガンサン)とも呼ばれる。1970324日に、国立公園に指定された。

俗離山の見どころ
l  マルティ峠
伝承によると、高麗太祖王建が訪れた際に初めて道を整えたと伝わる。王建の祖父である作帝建が俗離山に隠居し、亡くなるまで仏教を耽読しつつ暮らしたからだという。その後李氏朝鮮時代に世祖が俗離山に登る際にも、ぬかるんでいた道に平たく切り出した薄石を敷き、行列のための道を整備した。その後は歩道のような形で存在していたが、現代的な登山道として整備されたのは1924年のことであった。当時忠清北道知事を務めていた朴重陽は、仏寺を参拝するべく俗離山を訪れたが、泥でぬかるんだ道を見て憤慨し、マルティ峠に登る登山道を整備するよう当時の報恩郡守などに促した。
l  文蔵台
文蔵台(ムンジャンデ)は、行政区域上、慶尚北道尚州市化北面(ファブンミョン)壮岩里(チャンアムニ)山33番地に位置し、標高は1,054mで俗離山の中で2番目に高い峰である。法住寺から東へ約6kmの地点にある。古くは、雲の中に隠れていることから「雲蔵台(ウンジャンデ)」と呼ばれていたが、李氏朝鮮時代に世祖が療養のため俗離山を訪れたある日の夜、夢の中に貴公子が現れ、「近隣の霊峰に登り祈りを捧げれば、その身に吉があるだろう」とのお告げがあった。翌日ここに登ったところ頂上で三綱五倫を明示した書物を発見、その場で一日中読みふけったことから文蔵台と呼ばれるようになった。
文蔵台は、山頂に大きな岩がある特異な形をしており、この岩には50人が同時に座ることができる。俗離山のうち登山客が最も多く訪れるところで、登山道は2コースが整備されている。一つは忠清北道報恩郡の法住寺から登るコース、もう一つは慶尚北道尚州市化北面から登るコースで、所要時間は成人男性基準で前者が約2時間40分、後者が約1時間30分程度である。山頂には物資運搬や遭難者救助のためのヘリポートが設置されている。また携帯電話の基地局も設置運用されている。
文蔵台から約200m離れたところに二つの登山道の合流地点があり、ここに1975年から文蔵台休憩所が設置され、登山客に飲食の提供をしていた。しかし、俗離山の生態復元のため200811月に撤去された。
l  毘盧峰
毘盧峰(ピロボン)は、文蔵台から天王峰へと向かう途中にある峰である。法住寺からは約5.77kmの距離に位置しており、標高は973mである。「毘盧」とは「毘盧遮那」からつけられた名で、サンスクリット語で全てをあまねく照らすという「光明」を意味する。新羅中期の高僧真表(チンピョ)が俗離山を訪れた日の翌朝、座禅を組んでいた時にその部屋の中が明るい光でいっぱいになり、これに驚いた大師が扉を開けてみると、向かい側の山頂から5色のまぶしい光が照らされていた。大師が慌てて合掌拝礼し光源へ駆けつけると、岩に座っていた毘盧遮那仏が西方の空に向かって雲に乗り去っていった。大師は毘盧遮那仏に直接拝謁できた峰に、毘盧遮那仏の名から毘盧峰と名付けたという。最近は西遊記に登場する孫悟空の姿に似た形の岩で話題になっている。
l  天王峰
天王峰(チョヌァンボン)は俗離山の最高峰で、標高は1,058mである。山頂には天王峰と漢字で彫られた標石が立っている。文蔵台から見ると、三角形の形をしている。法住寺の東方約5.7kmに位置し、法住寺から登る場合、成人男性基準で約3時間30分所要。ただ、法住寺から文蔵台へと登るコースに比べると相対的に平坦である。天王峰にも遭難者救助のためのヘリポートが設置されている。

2010115日に撮影した動画>

<悟空岩>

<登山地図>
(動画の登り=赤 下り=青

0 件のコメント:

コメントを投稿