修理山(スリサン/489.2m/京畿道)

京畿道安城市の七長山(チルジャンサン 492.4m)から北西方向に枝分かれした漢南正脈[1]は、水原市の北に位置する光教山(クァンギョサン 582m)を経て義王市との境を成す白雲山(ペグンサン 567m)に至ると西方向に折れ、徐々に高度を下げながら義王市南方の五鳳山(オボンサン 204.2m)、冠峰(カムトゥボン 204.2m)、よもぎ峠(スッコゲ)へと緩やかに連なる。よもぎ峠を通り抜けた後は、知恵峰(スルギボン 469m)へと登り、そこから北東方向に支尾根が枝分かれする。この支尾根上に修理山の最高峰・太乙峰(テウルボン 489.2m)と冠帽峰(クァンモボン 426.2m)を抱き、さらに小さな支尾根となって安養川(アニャンチョン)へと下っていく。

修理山は、その山容が「H」の形になっている。漢南正脈から西へわずかにずれた知恵峰とそのまた更に西に位置する451.5m峰を横軸として見た場合、451.5m峰の北に位置する秀岩峰(スアンボン 398m)から451.5m峰の南西に位置する風峠(パラムコゲ)へと伸びる尾根が縦軸を成し、また知恵峰の北東に位置する冠帽峰と太乙峰から知恵峰の南に位置するよもぎ峠まで伸びる尾根がもう一方の縦軸を成すことで、「H」の形に連なっているわけである。

これに伴い、北側は安養市のピョンモガン[2]~タバコ村(タンベチョン)が、また南側は軍浦市速達洞(ソクタルドン)納徳谷(ナットッコル)がそれぞれ盆地のような谷になっている。この谷を囲んでいる尾根を境に、北東方向は安養市、南東方向は軍浦市、南西方向は安山市、そして北西方向は始興市がそれぞれ修理山を抱いている。

修理山という名は、山本(サンボン)や軍浦方向から眺めるとその山容が飛翔するハゲワシ(トクスリ)のように見えることに由来したといわれる。太乙峰の山頂石碑には、「安養川と修理山が山太極水太極[3]の地勢となっており、太乙風水による墓地として選ばれたことから山の名が自ずと太乙峰となった」との内容が記されている。

修理山は山の東側の人口密集地域から登り下りるコースが最も多い。またこの地域は、地下鉄安養駅衿井駅山本駅修理山駅などを起点とし、徒歩で歩いても20分前後で登山口へ着ける。安養市方面は、1960年代から修理山の登山口として利用されてきたピョンモガンが代表的である。このほかには、安養消防署方面の顕忠塔、安養消防署南側の万安女性会館、女性会館南側の鳴鶴洞(ミョンハクトン)などから冠帽峰を経て太乙峰へと登るコースが多く利用されている。

軍浦市方面は登山道が最も多い。山本洞(サンボンドン)の太乙小学校から太乙峰方面だけでも四つのコースがある。太乙小学校の南側にある水道事務所から登るコースも人気があり、また水道事務所の南側にある修理洞(スリドン)の鉱泉薬水(クァンチョンヤクス)から登る道もある。鉱泉薬水の南側にあるピクニック場からは、祥然寺(サンヨンサ)~南西稜もしくは成仏寺(ソンブルサ)~出会いの広場(マンナメクァンジャン)を経由するコースが代表的である。さらにその南側では、修理山駅か大夜味駅からよもぎ峠~知恵峰もしくはよもぎ峠~修理寺(スリサ)を経由するコースの人気が高い。

修理寺では近代になって鏡虚(キョンホ)大和尚が修行し、また近世の韓国仏教旋風を巻き起こした禅僧金烏(クモ)和尚が出家修行をした。かつては36棟の建物と12か所の付属庵がある巨刹であったと伝わっている。

198810月に文化体育観光指定伝統寺刹第86号に指定された。
<月刊「山」 全国名山地図帳解説より>

[1]漢南正脈(ハンナムジョンメッ) 七長山(チルジャンサン)から京畿道金浦市の文殊山(ムンスサン)へと至る山脈。
[2]ピョンモガン 瓶の首(ピョンモッ)のように、入口は狭いが中に入ると深く広々としている谷の意。
[3]山太極水太極(サンテグッステグッ) 風水説において、山並と川の流れがたわむように曲がり太極のような形になっている様子。

201062日に撮影した動画>

<登山地図>
(動画の登り=赤 下り=青