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五台山(オデサン/1,563m/江原道)

五台山は、太白山脈の中心部から西へ車嶺山脈が伸びる分岐点にそびえる山である。主峰の毘盧峰(ピロボン)のほか、虎嶺峰(ホリョンボン 1,531m)、象王峰(サンワンボン 1,491m)、頭老峰(トゥロボン 1,422m)、東台山(トンデサン 1,434m)などの高峰が連なる。この5峰及びその一帯の寺院で成される平昌五台山地区と、老人峰(ノインボン 1,338m)一帯の江陵小金剛地区に大別される。

肥沃な土壌と豊富な森林資源を有する典型的な「土山」で、冬季は降雪量が多い。特に月精寺入口からびっしりと茂るモミの森や、中腹のダケカンバ、山頂付近のコノテガシワとイチイの群落、虎嶺渓谷(ホリョンゲゴッ)のオヒョウの群落は壮観である。

動物はイノシシ、ジャコウジカ、アナグマ、タヌキ、ヤギなど26種の哺乳類と、ヤマゲラ、ワシミミズクなど85種の鳥類、ヤマメなど20種の淡水魚類、その他21種の爬虫類・両生類と1,124種の昆虫が棲息している。

周辺には大韓仏教曹渓宗4教区本寺の月精寺、上院寺(サンウォンサ)、寂滅宝宮(チョンミョルポグン)、北台寺(プッテサ)、中台寺(チュンデサ)、西台寺(ソデサ)など由緒ある仏教寺院と、五台山史庫址(史跡037号)など多くの文化遺跡がある。

文化財としては上院寺銅鐘(国宝36号)、月精寺八角九層石塔(国宝48号)、月精寺石造菩薩宝物139号)などがある。19752月に国立公園に指定され、年間80万人程度の観光客や登山客が訪れる。

2011923日に撮影した動画>

<登山地図>
(動画の登り=赤 下り=青

俗離山(ソンニサン/1,058m/忠清北道・慶尚北道)

俗離山は忠清北道報恩郡槐山郡慶尚北道尚州市にまたがる山である。花崗岩を基盤に変成堆積岩が混じっており、花崗岩の部分は鋭くそびえ、変成堆積岩の部分は深く窪み、高い峰と深い谷が絶景を成している。別名、光明山(クァンミョンサン)、彌智山(ミジサン)、小金剛山(ソクムガンサン)とも呼ばれる。1970324日に、国立公園に指定された。

俗離山の見どころ
l  マルティ峠
伝承によると、高麗太祖王建が訪れた際に初めて道を整えたと伝わる。王建の祖父である作帝建が俗離山に隠居し、亡くなるまで仏教を耽読しつつ暮らしたからだという。その後李氏朝鮮時代に世祖が俗離山に登る際にも、ぬかるんでいた道に平たく切り出した薄石を敷き、行列のための道を整備した。その後は歩道のような形で存在していたが、現代的な登山道として整備されたのは1924年のことであった。当時忠清北道知事を務めていた朴重陽は、仏寺を参拝するべく俗離山を訪れたが、泥でぬかるんだ道を見て憤慨し、マルティ峠に登る登山道を整備するよう当時の報恩郡守などに促した。
l  文蔵台
文蔵台(ムンジャンデ)は、行政区域上、慶尚北道尚州市化北面(ファブンミョン)壮岩里(チャンアムニ)山33番地に位置し、標高は1,054mで俗離山の中で2番目に高い峰である。法住寺から東へ約6kmの地点にある。古くは、雲の中に隠れていることから「雲蔵台(ウンジャンデ)」と呼ばれていたが、李氏朝鮮時代に世祖が療養のため俗離山を訪れたある日の夜、夢の中に貴公子が現れ、「近隣の霊峰に登り祈りを捧げれば、その身に吉があるだろう」とのお告げがあった。翌日ここに登ったところ頂上で三綱五倫を明示した書物を発見、その場で一日中読みふけったことから文蔵台と呼ばれるようになった。
文蔵台は、山頂に大きな岩がある特異な形をしており、この岩には50人が同時に座ることができる。俗離山のうち登山客が最も多く訪れるところで、登山道は2コースが整備されている。一つは忠清北道報恩郡の法住寺から登るコース、もう一つは慶尚北道尚州市化北面から登るコースで、所要時間は成人男性基準で前者が約2時間40分、後者が約1時間30分程度である。山頂には物資運搬や遭難者救助のためのヘリポートが設置されている。また携帯電話の基地局も設置運用されている。
文蔵台から約200m離れたところに二つの登山道の合流地点があり、ここに1975年から文蔵台休憩所が設置され、登山客に飲食の提供をしていた。しかし、俗離山の生態復元のため200811月に撤去された。
l  毘盧峰
毘盧峰(ピロボン)は、文蔵台から天王峰へと向かう途中にある峰である。法住寺からは約5.77kmの距離に位置しており、標高は973mである。「毘盧」とは「毘盧遮那」からつけられた名で、サンスクリット語で全てをあまねく照らすという「光明」を意味する。新羅中期の高僧真表(チンピョ)が俗離山を訪れた日の翌朝、座禅を組んでいた時にその部屋の中が明るい光でいっぱいになり、これに驚いた大師が扉を開けてみると、向かい側の山頂から5色のまぶしい光が照らされていた。大師が慌てて合掌拝礼し光源へ駆けつけると、岩に座っていた毘盧遮那仏が西方の空に向かって雲に乗り去っていった。大師は毘盧遮那仏に直接拝謁できた峰に、毘盧遮那仏の名から毘盧峰と名付けたという。最近は西遊記に登場する孫悟空の姿に似た形の岩で話題になっている。
l  天王峰
天王峰(チョヌァンボン)は俗離山の最高峰で、標高は1,058mである。山頂には天王峰と漢字で彫られた標石が立っている。文蔵台から見ると、三角形の形をしている。法住寺の東方約5.7kmに位置し、法住寺から登る場合、成人男性基準で約3時間30分所要。ただ、法住寺から文蔵台へと登るコースに比べると相対的に平坦である。天王峰にも遭難者救助のためのヘリポートが設置されている。

2010115日に撮影した動画>

<悟空岩>

<登山地図>
(動画の登り=赤 下り=青

鶏龍山(ケリョンサン/845m/忠清南道・大田市)

鶏龍山は忠清南道公州市鶏龍市論山市、そして大田市儒城区にまたがる山である。19681231日に国立公園に指定された。

忠清地域において鶏龍山は代表的な山ではあるが、最高峰の天皇峰(チョヌァンボン)は標高845m、鶏龍山の全体面積は60.98㎢であり、標高や面積では最高最大ではない。天皇峰、連天峰(ヨンチョンボン)、三仏峰(サンブルボン)を結ぶ稜線が、鶏のトサカをかぶった龍に似ているところから鶏龍山と名付けられた。鶏龍山の麓には、東鶴寺(トンハクサ)や甲寺(カプサ)、新元寺(シヌォンサ)などの有名な仏寺があり、また国語の教科書に紹介されている男妹塔(ナンメタッ)がある。鶏龍山南方地域の新都案(シンドアン)は、朝鮮王朝の建国直前に都の候補地として選ばれた。

鶏龍山は百済時代にも重要な山として中国の文献に「ケサン」又は「ケラムサン」という記録が確認されているが、新羅では鶏龍山を「ケラムサン」と呼んでいたことから、鶏龍山が「ケサン」「ケラムサン」であったと推定される。統一新羅時代には吐含山(トハムサン)、智異山(チリサン)、太白山(テベクサン)、八公山(パルゴンサン)とともに五岳の一つとして重要視されていた。新羅では国家の祭祀を大祀、中祀、小祀に分けていたが、鶏龍山で執り行われた祭祀は中祀に該当した。この信仰はその後、高麗から李氏朝鮮時代にかけて伝わり、新元寺の中嶽壇(チュンアクタン)で執り行われていた。

9世紀半ばごろに築かれた鶏龍山の鶏龍山城は、連天峰、観音峰(クァヌンボン)、サルゲ峰尾根を経て、西側で二つの沢が合流する地点まで尾根沿いに続き、その長さは3.5kmに達する。鶏龍山の西側に位置することから後百済が初めて築城したものと推定される。

鶏龍山は、太白山脈から車嶺(チャリョン)山脈が南西方向に分かれたところで、錦江による侵食を免れた残丘性山地である。山容は東へU字型に開いた侵食盆地となっている。主なピークは次の通り。

l  天皇峰:845m。鶏龍山の最高峰。立入禁止区域。
l  サルゲ峰:828m。踏臼の胴部につけた止め木(サルゲ)に似ているところから名付けられた。立入禁止区域。
l  観音峰:816m。天皇峰、サルゲ峰とともに鶏龍山の主峰。観音峰ののどかな雲景は、後述する鶏龍8景の一つであり、公州10[1]の一つに数えられる。サルゲ尾根の紅葉と、北西尾根のクロフネツツジが美しい。
l  三仏峰:775.1m。三人の仏様が座っているように見えるところから名付けられた。
l  連天峰:739m。主尾根が文筆峰(ムンピルボン)を経て連天峰へと至る。甲寺渓谷と新元寺渓谷の間にある。天皇峰、サルゲ峰、文筆峰、三仏峰の展望が良い。西方下には上月面(サンウォルミョン)と鶏龍池(ケリョンジ)、敬天池(キョンチョンジ)が見え、壮観な夕焼けは後述する鶏龍8景の一つに数えられる。

鶏龍山にある主な滝として隠仙瀑布と龍門瀑布があるが、このうち隠仙瀑布は、昔、仙人たちが隠れて遊んだほど美しいところから名付けられた。滝の落差による生じる雲霧は、後述する鶏龍8景の一つに数えられる。この滝は、20cm程度の厚さで幾重にも重なった紅色長石質花崗岩の板状斜節理が外部へ落ちたことにより作られた。高さ46m、幅10m、傾斜約60度の滝で、地形的な条件は備えているが、山地の頂上周辺に位置し、滝を形成できるほどの流水量の維持が困難なため、渇水期には落水がほとんど現れない。

鶏龍8
1.      天皇峰から眺めるご来光
2.      三仏峰を白く覆った雪景色
3.      連天峰の落日
4.      観音峰を包むのどかな浮雲
5.      盛夏の東鶴寺渓谷の森
6.      甲寺渓谷を真っ赤に彩る秋の紅葉
7.      隠仙瀑布の白い雲霧
8.      男妹塔に半分かかった月の姿

鶏龍山は主に落葉広葉樹林で覆われている。標高200400mの山麓にはマツ、ケヤキ、ナラ、ミズキなどがあり、標高400650mの中腹にはオノオレカンバ、サワシバ、アカシデ、カエデ、イタヤカエデ、アベマキが、650m以上の頂上付近にはモンゴリナラ、トネリコ、クロフネツツジが多い。中腹以上の植生は比較的よく保存されている。

[1]公州10景 公州文化院、公州芸総、郷土史学者、ジャーナリスト、写真家などで構成された公州10景選定委員会が公州10景候補地15か所を選定し、それを対象に実施したアンケートをもとに最終選定された。

2011318日に撮影した動画>

<登山地図>
(動画の登り=赤 下り=青

伽耶山(カヤサン/1,433m/慶尚北道・慶尚南道)

伽耶山は、慶尚南道陜川郡伽倻面(カヤミョン)と、慶尚北道星州郡の伽泉面(カチョンミョン)、修倫面(スリュンミョン)にまたがる山である。主峰の上王峰(サンワンボン 1,430m)、最高峰の七仏峰(チルブルボン 1,433m)、南山(ナムサン 1,113m)、梅花山(メファサン 954m)など、1,000m級の峰々が連なっており、その中央に、韓国三大寺院の一つに数えられる海印寺とそれに付属する庵がある。

伽耶山一帯から海印寺のある緇仁里(チイルリ)に集まる水は、急傾斜の紅流洞渓谷(ホンニュドンゲゴッ)を成す。その後、南東方向へ流れ下り、伽倻面の黄山里(ファンサルリ)で、洛東江の小支流である伽耶川(カヤチョン)となる。伽耶山を成す山脈を見ると、太白山脈から分かれた小白山脈徳裕山へ至り、本脈が南方の智異山(チリサン)へ向かう途中で一つの支脈が東方に伸び、大徳山(テドクサン 1,290m)、修道山(スドサン 1,316m)、丹芝峰(タンジボン 1,327m)を経て伽耶山へ至り、大きな山容を見せる。東側と南側は、洛東江本流と黄江(ファンガン)を見下ろす。上王峰からは、西に徳裕山を、南に智異山を遠望できる。

伽耶山一帯の地質は花崗片麻岩と花崗岩で形成されており、海印寺と新村落(シンチョルラッ)のある緇仁里沢と紅流洞渓谷は花崗岩侵食谷である。択里志では、韓国の山を岩山と土山に区分しつつ、次のように伽耶山を礼賛する部分が見られる。

「慶尚道には石火星(ソックァソン)がない。ただ一つ、陜川の伽耶山のみ、尖った岩が連なって火花のようであり、空中に極めて高くそびえ、秀でている。沢の取り付きに紅流洞と武陵橋がある。飛ぶような湧き水と盤石が数十里にわたって伸びている。」と記し、花崗岩で形成された岩山の峰々と沢、泉石を礼賛している。

伽耶山の気候は大陸性気候の特色を示し、気温の年較差及び日較差が非常に大きい。また、海印寺一帯は標高が高いため、冬は陜川郡の1月平均平地気温の氷点下1.1℃より5℃以上低い。降水量は地形性降雨により年間降水量が1,100mmを超え、夏季に集中することが多い。

紅流洞渓谷や海印寺一帯など、標高1,000mまでは松や樅などを主として約300種余りの樹木がこんもり生い茂っており、山頂が近づくに連れ多様な草本植物が現れる。山頂付近のヒロハヘビノボラズ、ヒロハハシドイ、チョウセンハシドイ、イブキジャコウソウの群落は特記に値する。

生息動物は、ミミズク、チョウセンウグイス、キジ、ヤマカササギなど100種余りの鳥類と、イノシシ、タヌキ、ノウサギなどの哺乳類が見られる。このほか、チョウセンスズガエルなど珍しくて貴重な動物も生息している。

伽耶山は昔から朝鮮八景12大名山の一つに数えられてきた。1966年には伽耶山と海印寺一円が史蹟・名勝地第5号に指定され、197210月には伽耶山のある陜川郡伽倻面を中心に星州郡と居昌郡の一部を含めた総面積57.8㎢が伽耶山国立公園に指定されている。

伽耶山の峰々と稜線は、南東の紅流洞渓谷方面以外は全て急斜面を形成している。そのため、西に馬嶺(マリョン)を越えて居昌へと至る小道もあるが、昔から主要交通路は紅流洞渓谷沿いに南東方向へ下り、陜川郡冶爐面(ヤロミョン)を経由して形成された。

伽耶山の主要観光資源は、紅流洞をはじめとした渓谷と海印寺一帯、そして伽耶山の峰々と稜線の自然景観に分けられる。自然景観と文化的・歴史的景観が優れた調和を見せている。

観光客向けの施設は緇仁里新村落に集中している。新村落集団施設地には、旅館などの宿泊施設や食堂、その他娯楽施設、記念品を販売する売店が密集しており、山菜料理やキノコ料理が美味である。

郵便局(国際電話取扱)、農業協同組合(外国為替取扱)、警察署、駐車場(7,000㎡)など、公共施設も整っている。交通は、ソウル・釜山・大邱・馬山・晋州・陜川間で定期路線バスが運行されており、特に88オリンピック高速道路の開通以降、大邱からの所要時間は1時間に短縮、大邱市民の日帰り休養地となった。

1972年に建設された展望台があり、伽耶山頂上と海印寺を一目に見渡せる。ソウルからは秋風嶺(チュプンニョン)を経由し金泉市甑山面(チュンサンミョン)、星州郡修倫面紅流洞へと至る道があるが、この道は清らかな渓谷沿いにあり、武屹九曲[1]で有名な絶景が広がっている。途中、青岩寺(チョンアムサ)や修道庵(スドアム)に立ち寄ることもできる上に、修倫面の檜淵書院(フェヨンソウォン)一帯の絶景も見どころである。

 登山コースは、門前集落の旅館村から始まり、海印寺~龍塔禅院~山頂を往復するコース(片道約6km)の他、海印寺~磨崖仏立像~山頂へ至るコースもある。

上王峰のピークに立つと、頭里峰(トゥリボン)、丹芝峰、修道山、大徳山を経て徳裕山へと至る西側の大稜線が壮快だ。北東方向星州郡を見下ろすことができ、白蓮庵(ペンニョナム)や加山(カサン 692m)方面へ伸びている南北稜線と南山第一峰岩尾根の奇岩絶壁が絶景を成す。なお、このピークの近くには、日照りでも水の枯れない牛鼻井(ウビジョン)がある。

伽倻面及び近隣の冶爐面は古くから白土と磁器の産地として知られており、伽倻面の高麗陶器会社等の陶磁器は陜川郡の主要工業製品となっている。また、同じく近隣の高靈郡方面の山麓にも高嶺土鉱山が多い。

伽耶山のある陜川郡には、涵碧樓(ハンビョンヌ)・烟湖寺(ヨノサ)・黃渓瀑布(フェンゲポッポ)など、多くの古蹟観光地がある。

[1]武屹九曲(ムフルググッ) 朝鮮時代の儒者寒岡(ハンガン)が七言句節の詩を作って歌った曲。

2011520日に撮影した動画>

<登山地図>
(動画の登り=赤 下り=青

道峰山(トボンサン/740m/ソウル市・京畿道)

道峰山はソウル市道峰区京畿道議政府市虎院洞(ホウォンドン)、楊州市長興面(チャンフンミョン)にまたがる山で、北漢山立公園の一部に属する。

白頭大幹[1]の分水嶺から南西方向に伸びた漢北正脈[2]の連峰沿いに、雲岳山仏谷山を経て南西方向へ下った後、ソウルの北東方向からそびえ立ち牛耳嶺(ウイリョン)を境に北漢山へと繋がる。最高峰の紫雲峰(チャウンボン 739.5m)を中心に、南方に萬丈峰(マンジャンボン)・仙人峰(ソニンボン)、西方に五峰(オボン)・女性峰(ヨソンボン)がある。

雄大な奇岩怪石や鋭くそびえた岩峰が壮観で、四方に伸びた沢沿いに緑陰が茂る。

面積は24㎢で、北漢山の55㎢に比べ、登山道の密度は高い。

[1]白頭大幹(ペクトゥデガン) 太白山脈小白山脈などで成す、朝鮮半島の脊梁山脈。
[2]漢北正脈(ハンブッチョンメッ) 太白山脈から漢江へと至る山脈。

2012520日に撮影した動画>

2011122日に撮影した動画>

2010101日に撮影した動画>

<登山地図>

仏岩山(プラムサン/509.7m/ソウル市・京畿道)

仏岩山はソウル市芦原区京畿道南楊州市別内面(ピョルレミョン)にまたがる岩山である。芦原区と南楊州市の境界を成しており、徳陵峠(トンヌンコゲ)を間に置いて水落山と隣接している。

仏岩山は砂岩質の岩山であるため鬱蒼とした樹林はないが、稜線は奇岩でつながり、春のクロフネツツジは花園を思い起こさせる。北漢山同様、ロッククライミングの練習に適したコースがあり、休日になるとクライミング装備を身につけた健脚の若者が引きも切らず訪れる。山頂に立つと、北漢山や道峰山の峰々が眼前に広がる。

観光の見所として泰康陵(テガンヌン)があるが、これは李氏朝鮮11代国王中宗3人目の王妃、文定王后尹氏の陵「泰陵」と、第13代国王明宗及び仁順王后沈氏の陵「康陵」とを合わせた名称である。文人石像と武人石像を比べると二つの陵は酷似しているが、康陵は欄干石を打ち抜いて双陵にしてあるところが泰陵と異なる。

朝鮮王朝時代には楊州牧(ヤンジュモッ、朝鮮王朝時代の地方行政区域の一つ)に属していた山で、元々は「筆岩山(ピラムサン)」と呼ばれ、墨洞や硯村とともに筆・墨・硯で地気を抑えるという風水地名であった。仏岩山という名は、大岩でできた峰がまるでソンナッ(僧侶が普段衲衣とともに身につけるかぶり物)をかぶった仏のように見えるところから名付けられた。また、別名を「天宝山(チョンボサン)」ともいう。

ソウル市芦原区は仏岩山都市自然公園の中渓地区(中渓洞山42-3番地一帯)に64,761㎡規模の「自然史生態広場」を造成すると明らかにした。また200911月には、仏岩山と漢字まで同名のタレント、崔仏岩さんを仏岩山の名誉主人として委嘱した。

芦原区からも見える花崗岩の主峰の南には、標高420mの第2峰がある。仏岩山は支流の漢川(ハンチョン)沿いに形成された漢川平野の東に位置し、平野を間に置いて西は北漢山と向かい合い、北は水落山と隣接している。

主峰と第2峰の間には仏岩寺(プラムサ)がある。山の南麓には仏岩山滝(プラムサンポッポ)、石泉庵(ソクチョナム)、鶴到庵(ハクトアム)、康陵、泰陵などが、西麓には浄岩寺(チョンアムサ)、薬昭庵(ヤクソアム)などがあり、山頂には仏岩山城址が残っている。

2011924日に撮影した動画>

<登山地図>
(動画の登り=赤 下り=青
それ以外の日に投稿者が歩いた登山道=緑

祝霊山(チュンニョンサン/888m/京畿道)

祝霊山は京畿道南楊州市加平郡の境に位置する山で、別名を飛龍山とも言う。

高麗末期、李成桂が即位する前にここへ狩りに訪れたが、1匹の獲物も捕らえられずに戻ってきた勢子たちが「ここは聖なる霊山なので山神祭を執り行わなければなりません」と話し、その翌日、山頂で祭祀を挙げた後で狩りに臨んだところイノシシを捕らえた、という伝説がその名の由来と言われる。ただ、李成桂までもが登場する由来としては、その根拠が薄弱ではなかろうか。

もう一つ、あまり知られていない由来だが、李氏朝鮮世祖睿宗時代に若くして不遇の死を遂げた南怡将軍と関わる説がある。祝霊山には南怡将軍が幼少時に武芸を磨いていたという南怡岩(ナミバウイ)があり、山頂の東方には加平の南怡島があることからも、南怡将軍説の根拠は薄くない。柳子光(ユ・ジャグァン)の偽告発を真に受けた睿宗が28歳の南怡を処刑すると、この付近の住民たちが彼の霊魂を慰めようとして南怡と関わりがあるこの山を祝霊山と名づけた、という。あまり知られてはいないが、南怡将軍由来説のほうが親近感を感じる。

祝霊山西側のチョンジラ谷には祝霊山自然休養林がある。樹齢60年のチョウセンゴヨウの森が鬱蒼としており、水遊び場や自然観察園、芝生広場、クロフネツツジ園などが整備されている。祝霊山東側の麓(加平郡)にはアチムゴヨ樹木園がある。

2010523日に撮影した動画>

徳裕山(トギュサン/1,614m/全羅北道・慶尚南道)

徳裕山は全羅北道茂朱郡長水郡慶尚南道居昌郡咸陽郡にまたがる山である。

最高峰は香積峰(ヒャンジョッポン)で、徳が豊かで寛大な母山という意から徳裕山と名付けられた。慶尚南道居昌郡と全羅北道茂朱郡安城面(アンソンミョン)、雪川面(ソルチョンミョン)の境にそびえており、北徳裕山(香積峰)と南徳裕山(1,507m)に分けられる。

南徳裕山は慶尚南道居昌郡、咸陽郡と全羅北道長水郡の境にそびえている。約20kmにわたる両ピーク間には、標高1,3001,400m小白山脈の主稜線が北東から南西方向へと伸び、慶尚南道と全羅北道の道境を成している。

主峰の香積峰を中心に、茂豊面(ムプンミョン)の三峰山(サンボンサン 1,254m)など標高1,300m前後の峰々が連なる稜線は別名「徳裕山脈」とも呼ばれている。

東西の斜面からは、南江や黄江(ファンガン)、 錦江などの源流となる数多くの沢が流れ、洛東江水系と錦江水系の分水嶺の役割を果たしている。植生は、250種余りの植物と116種の鳥類、446種の昆虫類、95種のクモ類の棲息が確認されている。

渓谷は全部で8か所あるが、特に茂朱と茂豊の間を流れ、錦江支流の南大川(ナムデチョン)へと流れ込む長さ30kmの茂朱九千洞(ムジュクチョンドン)は、全国的に広く知られた名所である。武夷九谷(ムイグゴッ)を始めとした九千洞33景や七連滝(チルリョンポッポ)、龍湫滝(ヨンチュポッポ)などが壮観で、安城渓谷(アンソンゲゴッ)、松渓寺渓谷(ソンゲサゲゴッ)、山水里渓谷(サンスリゲゴッ)なども名所に挙げられる。

6月初旬には、20kmにわたる稜線と登山道沿いに咲き広がるクロフネツツジの群落が見頃となり、夏に入れば涼やかな九千洞渓谷が避暑客であふれ返る。そして、秋は赤く色づいた紅葉が、冬は雪に覆われたチョウセンシラベ(朝鮮白檜)やイチイ、空に舞い散る吹雪が壮観である。

九千洞を過ぎ、香積峰まで残り3kmのところに、千年の古刹、白蓮寺(ペンニョンサ)がある。ここには梅月堂浮屠(メウォルダンブド 全羅北道有形文化財43)、白蓮寺階段(全羅北道地方記念物42)、靜觀堂浮屠(チョングァンダンブド 全羅北道有形文化財102)などの文化財がある。

19752月に、一帯が国立公園に指定された。

201163日に撮影した動画>

<登山地図>
(動画の登り=赤 下り=青

周王山(チュワンサン/722m/慶尚北道)

周王山は慶尚北道青松郡盈徳郡にまたがっている。1976330日、国立公園に指定された。

周王山一帯の地質は、風化や侵食に対して強い抵抗力を持つ白亜紀楡川層群の中性~酸性火山岩類で構成されている。

l  注山池(チュサンジ)
農業用水を確保するために作られた人工湖で、根と幹の下部まで水に浸かったマルバヤナギが数本生い茂っている。金基德監督「春夏秋冬そして春」のロケ地として知られる。

l  寺沢(チョルコル)
寺沢は梨田里(イジョルリ)にある沢で、入口の奇岩の姿が壮観である。秀麗な沢で、水が冷たい。

l  周王沢(チュワンケゴッ)
周王山は素晴らしい景観を誇っており、それぞれの峰ごとに、中国の秦から逃亡してきた周王にまつわる伝説が伝わるなど名勝としての価値が高く、20031031日、大韓民国の名勝第11号に指定された。

20101126日に撮影した動画>

<登山地図>
(動画の登り=赤 下り=青

小白山(ソベクサン/1,439m/忠清北道・慶尚北道)

小白山は忠清北道丹陽郡慶尚北道栄州市奉化郡にまたがっており、古くから太白山とともに霊山として崇められてきた。三災(水・火・風による災害)が及ばない山と言われ、また風水的にも良い地とされたことから、朝鮮時代には戦乱と飢饉から逃れられる「十勝之地」の一つに挙げられた。

19871214日、建設省告示第645号により、18か所目の国立公園に指定された。総面積は322.383㎢で、慶尚北道側が173.56㎢、忠清北道側が148.823㎢を占めている。

2011429日に撮影した動画>

<登山地図>
(動画の登り=赤 下り=青

内蔵山(ネジャンサン/763m/全羅北道)

内蔵山は全羅北道井邑市淳昌郡にまたがる山である。湖南[1]地方の五大名山の一つに数えられる。また、韓国八景の一つでもあり、500年余り前から紅葉の名所として広く知られていた。現在も紅葉の最盛期には1日に10万人もの人出で賑わうなど、年間100万人以上の観光客が内蔵山を訪れる。春は山麓の緑の中に咲く美しい桜の花、夏は青々とした草木の緑、秋は燃ゆる紅葉、そして冬は雪景の美と、四季を通じて観光を楽しめる。麓には内蔵寺がある。

内蔵山は元々、本寺 霊隠寺(ポンサ ヨンウンサ)の名から霊隠山と呼ばれていたが、山内に秘められた場所が無尽蔵にあることから内蔵山と呼ばれるようになった。

19711117日、近隣の白羊寺(ペギャンサ)地区とともに国立公園に指定された。総面積81.715㎢のうち、全羅北道が47.504㎢、全羅南道が34.211㎢を占めており、井邑市昌郡、長城郡にまたがっている。

<見どころ>
l  カチ峰(717m
内蔵山西側に二つの岩峰がそびえており、その姿がまるで「カチ」(カササギ)が翼を広げているように見えることからその名がついている。内蔵山の中で2番目に標高の高い峰で、白巖山(ペガムサン)へと繋がる尾根が西に伸びている。このカチ峰を中心にして、内蔵9峰と呼ばれる峰々が概ね東側に連なっており、上から見ると馬蹄のような形を成している。
l  蓮池峰(ヨンジボン 670m
望海峰(マンヘボン)の南西方向にそびえるピークである。ここを源流とする水は円寂沢(ウォンジョッケゴッ)を流れ下り、金仙沢(クムソンゲゴッ)と合流、西来峰(ソレボン)の周囲を回るようにして流れた後、内蔵湖(ネジャンホ)、東津江(トンジンガン)へと至る。蓮池峰に雲がかかると雨が降ると伝わっている。

[1]湖南(ホナム) 全羅道の別名。伝統的な地方名称の一つ。

2011930日に撮影した動画>

<登山地図>
(動画の登り=赤 下り=青