鶏龍山(ケリョンサン/845m/忠清南道・大田市)

鶏龍山は忠清南道公州市鶏龍市論山市、そして大田市儒城区にまたがる山である。19681231日に国立公園に指定された。

忠清地域において鶏龍山は代表的な山ではあるが、最高峰の天皇峰(チョヌァンボン)は標高845m、鶏龍山の全体面積は60.98㎢であり、標高や面積では最高最大ではない。天皇峰、連天峰(ヨンチョンボン)、三仏峰(サンブルボン)を結ぶ稜線が、鶏のトサカをかぶった龍に似ているところから鶏龍山と名付けられた。鶏龍山の麓には、東鶴寺(トンハクサ)や甲寺(カプサ)、新元寺(シヌォンサ)などの有名な仏寺があり、また国語の教科書に紹介されている男妹塔(ナンメタッ)がある。鶏龍山南方地域の新都案(シンドアン)は、朝鮮王朝の建国直前に都の候補地として選ばれた。

鶏龍山は百済時代にも重要な山として中国の文献に「ケサン」又は「ケラムサン」という記録が確認されているが、新羅では鶏龍山を「ケラムサン」と呼んでいたことから、鶏龍山が「ケサン」「ケラムサン」であったと推定される。統一新羅時代には吐含山(トハムサン)、智異山(チリサン)、太白山(テベクサン)、八公山(パルゴンサン)とともに五岳の一つとして重要視されていた。新羅では国家の祭祀を大祀、中祀、小祀に分けていたが、鶏龍山で執り行われた祭祀は中祀に該当した。この信仰はその後、高麗から李氏朝鮮時代にかけて伝わり、新元寺の中嶽壇(チュンアクタン)で執り行われていた。

9世紀半ばごろに築かれた鶏龍山の鶏龍山城は、連天峰、観音峰(クァヌンボン)、サルゲ峰尾根を経て、西側で二つの沢が合流する地点まで尾根沿いに続き、その長さは3.5kmに達する。鶏龍山の西側に位置することから後百済が初めて築城したものと推定される。

鶏龍山は、太白山脈から車嶺(チャリョン)山脈が南西方向に分かれたところで、錦江による侵食を免れた残丘性山地である。山容は東へU字型に開いた侵食盆地となっている。主なピークは次の通り。

l  天皇峰:845m。鶏龍山の最高峰。立入禁止区域。
l  サルゲ峰:828m。踏臼の胴部につけた止め木(サルゲ)に似ているところから名付けられた。立入禁止区域。
l  観音峰:816m。天皇峰、サルゲ峰とともに鶏龍山の主峰。観音峰ののどかな雲景は、後述する鶏龍8景の一つであり、公州10[1]の一つに数えられる。サルゲ尾根の紅葉と、北西尾根のクロフネツツジが美しい。
l  三仏峰:775.1m。三人の仏様が座っているように見えるところから名付けられた。
l  連天峰:739m。主尾根が文筆峰(ムンピルボン)を経て連天峰へと至る。甲寺渓谷と新元寺渓谷の間にある。天皇峰、サルゲ峰、文筆峰、三仏峰の展望が良い。西方下には上月面(サンウォルミョン)と鶏龍池(ケリョンジ)、敬天池(キョンチョンジ)が見え、壮観な夕焼けは後述する鶏龍8景の一つに数えられる。

鶏龍山にある主な滝として隠仙瀑布と龍門瀑布があるが、このうち隠仙瀑布は、昔、仙人たちが隠れて遊んだほど美しいところから名付けられた。滝の落差による生じる雲霧は、後述する鶏龍8景の一つに数えられる。この滝は、20cm程度の厚さで幾重にも重なった紅色長石質花崗岩の板状斜節理が外部へ落ちたことにより作られた。高さ46m、幅10m、傾斜約60度の滝で、地形的な条件は備えているが、山地の頂上周辺に位置し、滝を形成できるほどの流水量の維持が困難なため、渇水期には落水がほとんど現れない。

鶏龍8
1.      天皇峰から眺めるご来光
2.      三仏峰を白く覆った雪景色
3.      連天峰の落日
4.      観音峰を包むのどかな浮雲
5.      盛夏の東鶴寺渓谷の森
6.      甲寺渓谷を真っ赤に彩る秋の紅葉
7.      隠仙瀑布の白い雲霧
8.      男妹塔に半分かかった月の姿

鶏龍山は主に落葉広葉樹林で覆われている。標高200400mの山麓にはマツ、ケヤキ、ナラ、ミズキなどがあり、標高400650mの中腹にはオノオレカンバ、サワシバ、アカシデ、カエデ、イタヤカエデ、アベマキが、650m以上の頂上付近にはモンゴリナラ、トネリコ、クロフネツツジが多い。中腹以上の植生は比較的よく保存されている。

[1]公州10景 公州文化院、公州芸総、郷土史学者、ジャーナリスト、写真家などで構成された公州10景選定委員会が公州10景候補地15か所を選定し、それを対象に実施したアンケートをもとに最終選定された。

2011318日に撮影した動画>

<登山地図>
(動画の登り=赤 下り=青

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