馬耳山(マイサン/685m/全羅北道)

全羅北道鎮安は「湖南[1]の屋根」と呼ばれるほど平均標高の高い(290m)高原地帯である。この高原地帯の象徴がまさしく馬耳山である。馬耳山は685mの雌馬耳峰(アンマイボン)と678mの雄馬耳峰(スンマイボン)がさながら馬の耳のように見えることから付けられた名である。

馬耳山は山全体が地方記念物第66号に指定されている。また、馬耳山をさらに有名にしているのが塔寺(タプサ)であるが、この寺も地方記念物第35号に指定されている。馬耳山は、馬霊(マリョン)方面の合米山城(ハンミサンソン)までを含め、面積16.9㎢に及ぶ一帯が197910月に道立公園の指定を受けた。鎮安からは南方へ4㎞、全州からは東方へ40㎞の距離である。

雌馬耳峰と雄馬耳峰は、セメントコンクリートを混ぜ合わせたような岩質で形成されているが、これは遠い昔、湖だったこの地域が地表に現れたことにより形成された淡水性の礫岩である。現在の山容は、地殻変動で噴き上がった後に内部から表面に向かって風化が進み、それにより形成されたタフォニ地形とも言われる。

馬耳山は新羅時代には西多山(ソダサン)、高麗時代には湧出山(ヨンチュルサン)、李氏朝鮮時代の初期には束金山(ソックムサン)と呼ばれていたが、李氏朝鮮の太宗の時代になり馬耳山と呼ばれ始めた。馬耳山がしばし束金山と呼ばれていたのは、李氏朝鮮の太祖李成桂と関連がある。

高麗の禑王6年(1380年)、李成桂が全羅道南原の雲峰(ウンボン)荒山(ファンサン)において倭寇を打ち破り、凱旋の途中で鎮安を通りかかった際に、夢の中で神から金尺を賜った場所がまさしく馬耳山であったことから束金山と呼ばれるようになったと言われる。その後、朝鮮王朝を建国した李成桂は、朝鮮建国の喜びを歌った「金尺舞」(夢金尺)を作り上げ、楽学軌範の中に収載した。この金尺舞は500年間継承され、現在は毎年開催される馬耳山祭において再現されており、また銀水寺(ウンスサ)には夢金尺図と金尺の複製品が保管されている。

馬耳山西側にある塔寺には倒れそうで倒れない80基余りの石塔があり、神秘の寺刹として有名である。この石塔は、五台山で修行をしていた処士の李甲用(イ・ガビョン)が啓示を受けてこの地に入り、10余年間にわたって一人で松の葉を生食しながら、万民を救済したいという一念で功を立てようと、昼には祈祷をし夜になると石の一つひとつに心を込めて積み上げたと言われる。

鎮安郡により登山道がよく整備されており、主要な地点ごとに道標が設置されているため、初心者でも気軽に登山を楽しむことができる。馬霊面の江亭里(カンジョンニ)合米山城を起点とし、広大峰(クァンデボン)~古金塘懶翁庵(コグムダン ナオンアム)~飛龍台(ピリョンデ)~笠峰(サッカッポン)~鳳頭峰(ポンドゥボン)~塔寺~天皇門(チョヌァンムン)を経由、雌馬耳峰の山頂に登頂後[2]再び天皇門へ下り、北部駐車場もしくは南部駐車場へと至る縦走が最も距離の長いコースとなる。山行距離は約10㎞、所要時間は約5時間。

また、南部駐車場を起点とし、合米山城~雌馬耳峰へと至る縦走コースの中間地点に当たる古金塘懶翁庵に登り、飛龍台~笠峰~鳳頭峰を経由、塔寺へと下るコースがある。山行距離約4㎞、所要時間約2時間。

雌馬耳峰のみに登下山するコースも人気がある。雌馬耳峰は、北部駐車場もしくは塔寺から一旦天皇門まで登った後、山頂に登頂し再び天皇門へと下るコースとなる。天皇門から雌馬耳峰へと設置された鉄階段を登り、ロープを掴みながら20分ほど登ると、雌馬耳峰の山頂に着く。山頂には、高さ1.5mほどに積み重ねられた石の小山がある。北部駐車場もしくは南部駐車場から雌馬耳峰山頂まで往復するコースは、山行距離約3㎞、所要時間約2時間。馬耳山管理事務所☎063-433-3313
<月刊「山」 全国名山地図帳解説より>

[1]湖南(ホナム) 全羅道の別名。伝統的な地方名称の一つ。
[2]天皇門と雌馬耳峰間の登山道は、植生復元のため200410月から201410月までの10年間、立入禁止となっている。

<交通(2011114日)>
05:40 KTX龍山駅出発
07:48 全州駅到着、タクシー乗車
08:05 全州市外バス共用ターミナル出発
08:55 鎮安市外バス共用停留場到着、タクシー乗車
09:05 馬耳山北部駐車場到着
11:30 馬耳山北部駐車場停留所出発
11:42 鎮安市外バス共用停留場到着
11:55 鎮安市外バス共用停留場出発
12:35全州市外バス共用ターミナル到着
14:08 KTX全州駅出発
16:16 龍山駅到着

2011114日に撮影した動画>

<登山地図>
(動画の登り=赤 下り=青

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